世界の家具の歴史 第2回|中世編 — 家具は「移動する財産」だった

世界の家具の歴史 第2回|中世編 — 家具は「移動する財産」だった

古代の家具が「権力の象徴」だったように、中世ヨーロッパの家具もまた、人々の暮らしと社会のかたちを映し出していました。ローマ帝国が崩壊し、ヨーロッパが小さな王国や領地に分かれていった約1000年間――家具は「飾るもの」である前に、まず「持ち運べる財産」でした。シリーズ第2回は、城と教会が世界の中心だった中世の家具をたどります。

■ 中世初期 — 家具は「持ち運ぶ財産」だった

中世のチェスト(櫃)。収納・腰かけ・運搬箱を一つで兼ねた
中世のチェスト(櫃)。収納・腰かけ・運搬箱を一つで兼ねた

ローマ崩壊後の混乱の時代、貴族や領主は一つの場所に定住せず、いくつもの城や荘園を巡りながら暮らしていました。そのため家具に求められたのは、豪華さよりも「分解できること」「運べること」。椅子やテーブルは折りたたみ式が多く、必要なときだけ組み立てて使われました。

この時代の主役は、なんといっても「チェスト(櫃/ひつ)」です。衣類や食器、貴重品を収める収納箱でありながら、蓋を閉じればベンチ(腰かけ)になり、旅立ちのときには中身ごと馬車に積み込む運搬箱にもなりました。一つの家具がいくつもの役割を兼ねる――限られた持ち物で暮らす知恵が、そこには息づいていました。

■ ロマネスク — 重厚な木と鉄の時代

厚い木材を鉄の帯金具で補強した頑丈なチェスト
厚い木材を鉄の帯金具で補強した頑丈なチェスト

11〜12世紀、修道院を中心に「ロマネスク様式」の家具が広がります。厚いオーク(樫)材を使い、鉄の帯金具で補強した、いかにも頑丈な箱物が特徴です。装飾は素朴で、半円アーチや幾何学模様、聖書の場面を彫り込んだものが見られました。

家具づくりはまだ専門の職人というより、大工や鍛冶屋の仕事に近いものでした。だからこそ、華奢さよりも「壊れない強さ」が何より大切にされたのです。修道院は当時の知識と技術の宝庫であり、家具をつくる技もまた、ここで静かに受け継がれていきました。

■ ゴシック — 大聖堂が家具になった

食器や銀器を飾るために生まれたドレッサー(食器棚)
食器や銀器を飾るために生まれたドレッサー(食器棚)

13〜15世紀、ノートルダムに代表される壮麗なゴシック建築が花開くと、その意匠はそのまま家具にも映し出されました。天に伸びる尖頭アーチ、繊細な窓格子(トレーサリー)の彫刻が、戸棚や椅子の表面を飾ります。

この頃に生まれた代表的な装飾が「リネンフォールド(麻襞)彫り」。畳んだ麻布のひだを木で表現したもので、扉や壁板に上品な陰影を与えました。また、背もたれの高い椅子は依然として主人の権威を示す特別な席であり、食器や銀器を並べて飾る「ドレッサー(食器棚)」も登場します。家具は建築と一体になり、信仰と格式を映す存在になっていきました。

■ 暮らしと家具 — 身分が決めた「座る場所」

主人は背の高い椅子に、客や家族はベンチに。壁には寒さを和らげるタペストリー(シャルル5世の饗宴)
主人は背の高い椅子に、客や家族はベンチに。壁には寒さを和らげるタペストリー(シャルル5世の饗宴)

中世の城では、人々は「ホール(大広間)」と呼ばれる広い部屋に集まって食事をし、語らい、ときに眠りました。そこでも家具は身分の言語でした。背もたれと肘掛けのある椅子に座れるのは主人だけ。家族や客は、背もたれのない長いベンチやスツールに腰かけるのが習わしでした。

石造りの城は、冬は底冷えします。そこで壁には大きなタペストリー(つづれ織り)が掛けられ、寒さを和らげると同時に、物語や紋章を描いて部屋を彩りました。家具と織物が一体となって「住まい」をつくる――それが中世の暮らしの工夫でした。

■ まとめ — 中世の家具が教えてくれること

古代の「権力の象徴」から、中世の家具は「移動する財産」、そして「信仰と格式の表現」へと姿を変えました。けれども根っこにあるテーマは同じです。誰が椅子に座り、誰が良い家具を持てるのか――それは依然として、社会の秩序そのものを映していました。

やがて時代はルネサンスを迎え、家具は「機能」から「美と個性を楽しむもの」へと大きく花開いていきます。次回・第3回は、職人たちが腕を競い合った華やかな近世ヨーロッパの家具をご紹介します。

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